僕はただ、手羽先をカリカリに焼いて酒のつまみにしようとしただけだったのに、のこと。

「孤独」にうすぎたいと思うことや、その「孤独」に意味がないと感じる。こんな風に自分を責めるような思い方をするのは、決して自分が望んではいないのにそんなふうにしか思えない。よくわかる。それは、愛情を向けられても、甘えることが怖くて、それを感じることがそもそも怖いこと。それが心地よいという感触を肌で感じたことの無い空白に起こる感覚。その空白を埋めるものは何か、おそらくそれはこうだとわかっているのに、もうそれを埋める手立てを選べない。それが虚しい。そんなことを思うことが薄汚い。そう思う自分に問題があるとしか思いようのない思考。その狭さが歯痒いけどどうにもならない。もう戻れないのだから。孤独を罵倒するのは、そうするほか自分自身の居場所がないから。
 自分なんかなぜ生まれてきたのだろうかと、望んで生まれたわけではないのに何故か不幸を背負うことばかりな人生を懸命に受け止め、また否すのを繰り返すのが自分の人生。それ以外には何も見いだせない寂しさ。 時々、気違いのようになる。


 私にとって生きてきて良かったと思えるのは、そんな思い方しかできないのはこの世で私だけではなかったと知った時。生きていることが何の役にも立たない自分が、それでも救われて良かったと思ってもいいんだ、という居場所が見つかったことです。


 
そんな僕は今、クッキーを焼いている。